腰痛の症例(高齢者のぎっくり腰の場合)

朱丹渓

これから紹介するのは医案とよばれるものです。医案とはいわゆるカルテのことで、ある程度基礎を学んだ漢方医や鍼灸師達が応用として学ぶ物とされてきました。今でいうところの症例検討に近いかもしれません。要点のみ書かれた医案の文章は非常に簡潔で一見味気ないようなものが多いですが、臨床家らしい視点がおおく詰め込まれているという意味では今を生きる鍼灸師や漢方家にとっても示唆的なものが少なくありません。そういう意味で医案は日本ではあまり知られていませんが、東洋医学の治療方針を学ぶとてもよい教科書です。

目次

朱丹渓の腰痛医案

原文と朱丹渓の紹介

朱丹渓は徐質夫を治した,年は六十余り,馬から墜ちて腰疼になり転側できない。六脈は散大,重取すると弦小にして長,やや堅い。朱は悪血があるけれど,未だ駆逐すべきではない,補が先だ。 蘇木、人参、黄芪、芎、帰、陳皮、甘草を煎服させる。半月の后,散大は漸くおさまり,食もまた進む。遂に熟大黄湯で自然銅等の薬を調下して,一月にして安し。

この医案は朱丹渓によるものです。朱丹渓は1282年〜1358年まで生きた医家です。金元四大医家のうちの一人と言われており、現在でも使われている滋陰降火湯をつくった人としても知られています。彼はそれまで主流だった清熱という治療法の問題点を指摘し、陰液を補うことで熱証を改善する滋陰降火という治療法を生み出しました。そんな彼のぎっくり腰に対する治療がこの医案に書かれています。

医案解説

医案によると60歳の老人が馬から落ちたものを治療したとあります。馬から落ちる状況というのが時代を感じますね。

さて診察に移りましょう。六脈はおそらく両手の寸関尺のことです。「脈散大」は力のない脈のことをいいます。『脈経』では「散脈は大きくて散り散りになるような脈であり、気が実して血が虚することを表す(散脈、大而散、散者気実血虚)」とあります。また『素問』でも「脈が葉が散るように打つのは、肝木が虚しているからであり、木は葉が落ちると死す」とあり、非常に重篤な場合に見られる脈であることがわかります。また弦脈は、肝気鬱で現れるとされますが、他にも気の推動作用の阻害によって起こります。ここでは重按することで気機の停滞(気滞血瘀)を見ているのでしょう。
一般的に転倒などの挫傷は血瘀として見ることが多いですがこの症例ではそれに反した散脈が主に触れています。そのため「悪血あるけれども、まだ駆逐するべきでない」というわけです。蘇木、人参、黄芪、芎、帰、陳皮、甘草は補法中心の生薬構成です。その後、脈と食欲の回復を確認してから活血薬である熟大黄湯を服用させて治療が完結します。

補気か活血か

さて挫傷という血瘀証の典型的なパターンであっても補法を行ってよいのでしょうか?朱丹渓は、患者が高齢者であること、脈が虚を示していることから活血薬を用いず補法を優先させています。一般的に補薬は邪(今回の例では瘀血)を助長します。しかし虚証がある場合、補薬は元気を補うのみで邪を助長することは少ないです。朱丹渓は単に活血薬を用いるのではなく、患者の体力を勘案して処方を組んでいるのです。

まとめ

今回は朱丹渓の医案から治療法の指針を学びました。人体は単純な虚実になることはなく、つねに虚実夾雑というわれるような複雑な様相を呈することが多いです。臨床家としてはどのあたりから治療するか。どこが実でどこが虚かを詳細に見極められるようになる必要性をかんじる医案でした。

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