養生という言葉は聞き馴染みがある言葉だろうか。健康オタクの間では謎の養生家なるものが跋扈して、ヤレあれは体に良い、ヤレこれは食べてはいけないと喧伝しているらしい。そもそも養生ってなんなの?という気分になる今日この頃である。そんな養生という言葉は東洋医学の用語なのだが、彼らの古典を見てみようと思う。素問という古典にこんな記載がある。
養生の道
春の三ヶ月
春の三ヶ月、これを発陳ハッチンという。天地はともに生まれ、万物は栄える。遅くに寝て早く起きよ。庭に出ればゆったりと散歩し、髪もゆったりとさせ、「生」という字に合う様な心持ちにする。生かして殺すなかれ。あたえて奪うなかれ。これが春の気に応じるということであり、養生の道である。
『素問』四気調神大論より意訳
補足をすると、発陳というのは草木が芽吹くことを表す表現である。春は冬の厳しい時代から、草木が芽吹き命が生まれる時期と昔は考えられてきた。少しずつ暖かくなるとウキウキしてしまうのは、僕らがその可能性に心躍っているからなのかもしれない。そんな何かが芽吹く様な状態は、硬さがなく・のびのびとした・なにか可能性を感じさせる様な状態を思い浮かべて欲しい。言葉にすれば難しいが、冬から春にかわる時、子供が生まれる時、入学式の緊張と不安が入り混じりつつ期待に胸をおどらせる時、そんな時の気持ちをみなは経験したことがあると思う。それを「生」という一文字で表して、そんな状態を育むように生活する。これを当時は「養生」と表現したようだ。
生を養う
これを「養生(生を養う)」と表現しているのも個人的には、とても良いと思う。いわゆる今どきのスキルや知識のように、身につけるものではないということだし、もともと皆が少なからず持っている感覚を大切にするというニュアンスが「養う」という言葉にはある。気合いを入れてやるものではないというのがとても良い。昔の人のワードセンスには脱帽するばかりである。さらに言えば、「生」という一字にすることで含みを持たせるのもとても良い。
「〇〇だけで簡単健康法!」
みたいな思考停止に陥ることなく、
「自分にとっての「生」に合うような心持ちってどんな状態なのだろう」
「春ってどんな様子だったっけ」
と周りを観察したり、自問自答したりできる余韻が言葉にある。古人おそるべし。
季節にあわせるという考え方
読んでて感じていた方もいるだろうが、中国伝統医学には季節に合わせて心持ちや振る舞いを合わせて生きていくという考え方がある。これは人が自然の一部であってその影響を少なからずにうけているからと言われている。実際に、日々施術をする身だと、立春をすぎたころから脈やお腹などに変化があらわれて、春の脈・春のお腹があることは鍼灸師の常識である。
そんなわけで春は養生であるが、夏秋冬にもそれぞれ養生法があるようで「養長」「養収」「養蔵」という言葉が同じ素問の四気調神大論に書かれている。またそれについても機会があれば紹介したい。
病気の人は別
とはいえこれは健康な人の予防的な考えの話として読んで欲しい。体調不良の時は「生」について考えることなど苦痛でしかないし、心が病んでしまう。そのときは遠慮せず鍼灸院や病院、漢方薬局に頼っていただきたい。また元気になったら季節に合わせて生きることを考えるのも意外と楽しいものだ。
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