東洋医学の古典から捉える食欲

ホットフラッシュの東洋医学的解釈

当院では中医学研究のために三旗塾という研究会に所属しているのだが、
そちらの季刊誌に投稿したものです。
鍼灸に馴染みのない方には専門的な内容ですが、
一介の鍼灸師の頭の中を垣間見ることができますし
手に取る機会も少ない雑誌ですのでこちらで再掲させていただく。


 食と中医学は縁が深いようだ。『素問』上古天真論には、長生きする者と早死にする者の違いの一つに食事の節制をあげている。食料が豊かでなかった時代にも節制をうたうのだから当時の中国人はよっぽど大食漢だったに違いない。もしくは人の食欲は強すぎるのが常なのかもしれない。一方で、食は人を支える大きな要素であることも事実である。両親に先天の精をもらったのち人が成長発育のため外から後天を取り込むには二つのルートは二つしかない。『素問』六節蔵象論には「五気は鼻より入りて、心肺に蔵され、・・・五味は口に入りて腸胃に蔵される」とある。つまりは呼吸と食事である。食はさらに気と味に分かれ、気と味はさらに五行に配当されて細分化されていく。五行の配当は現実的な味や風味とかけ離れていることが多く形式的な側面が強いと感じる場面ことも多いが、ここまで細分化する古人には並々ならぬ関心が食にあったことの証左といえよう。なぜここまで食にこだわったのか。もしくはこだわらねばならなかったのか。呼吸が無意識の動作であることを考えると、食事が施術者として最も正気を高めるためにコントロールしやすい部分であるからだといえるだろう。また机の足以外の四つ足は食べるという中国人の性格はともかくとして、食べられなければ死ぬという基本的な考えがその一つではないかと思われる。脈診においては胃気を見ることが一つの目標とされ、素問では胃気の有無=経過の良し悪しと読み替えることさえできる。脈診における胃気とは、消化と吸収がどれだけ身体にとって効率よく行われているかを見ているのではないかと筆者は内心考えている。
 さて本題の食欲に話を移そう。中医学では食欲不振というと脾気虚がまず頭に思い浮かぶ。古典にも食欲と脾胃の関係を述べたものは非常に多い。ただし、単純に脾気虚と捉えるのは早計かもしれない。補土派と言われた李東垣の著書『脾胃論』脾胃勝衰論には「脾胃ともに旺なればよく食べてよく肥える。脾胃ともに虚せば、食べることあたわずして痩せる。あるいは少食にて肥え、肥えるといえども四肢上がらずは脾が実にして邪気盛んなり。またよく食して痩せるは、胃に火邪の気が伏す」とある。食すことができるというのは脾というよりも胃の状態に影響されるようである。さらに言えば食欲不振=脾気虚というのであれば、「あるいは少食にて肥え、肥えるといえども四肢上がらずは脾が実にして邪気盛んなり。」の一節は中医の弁証と矛盾する部分でもある。この邪実(邪気盛ん)の部分は陰盛陽虚であると書かれており辛甘薬を用いて助陽するとあることから、今でいう脾虚湿盛〜寒湿困脾あたりでなかろうかと推察できる。つまり、湿邪(+寒邪)による食欲不振も場合によってはあり得るということだ。実際に『血証論』などでは、「食下らず」という症状に対して、建脾のみの四君子湯ではなく、建脾に利湿作用のある六君子湯を推奨している。また島国であり湿度が高いと言われている日本では純粋な脾気虚よりも夏バテで食欲不振になるような湿邪絡みのものが多いのではないだろうかと考えられる。
 ここから一つの仮説を導き出していきたい。なぜ食欲不振になるのだろうか?純粋な胃気の虚によって起こる食欲不振に加えて、湿邪などによって起こる食欲不振もあるということを見てきた。筆者にはこの二つに共通点があると考えている。食事を行い体内に水穀がやってくると、胃の降濁作用を通して、清濁を分け必要なものは体内へ不必要なものは糟粕として体外へ排出する。取り込む作業と排泄作業という相反することを同時に行なっているのが脾胃である。この過程で、単に胃気が衰え降濁作用が低下すれば、排泄が上手くいかず腹満などを伴って食欲不振になることが容易に予想される。病み上がりで食欲が出ないのはこのパターンが近いかもしれない。また取り込む作業、つまり脾の昇清作用が低下すれば、必要以上に中焦で水穀が停滞することになりこれも食欲不振を引き起こすと考えられる。まさしく夏バテのイメージだろうか。どちらにおいても腹部、特に中焦の気機(働き)が低下することで食欲不振が現れると考えて良いのではないだろうか?話をまとめよう。中医学では食欲不振=脾気虚であると言われてきた。しかし、『脾胃論』から紐解けば脾気虚というよりむしろ胃気虚というべき状態が見られる。それは食欲の有無と胃の盛衰の関わりが強く、肥えたり痩せたりするのは脾と関係が強いからである。普段の臨床では脾気虚において、足之陽明胃経を多用するのはこのような理由があるからかもしれない。さらに食欲不振=虚証だけではないことも示唆された。陰邪(湿邪や寒邪)によって脾の昇清作用が阻害されて起こる実証タイプの食欲不振あることが分かった。虚証と実証の食欲不振に共通する点は、共に中焦の気機が阻害されて引き起こされるという点である。
 食欲不振について考察してみたがいかがだっただろうか?古典から見ると食欲不振という言葉はあまり出てこない。実際には「食不下」などという表現が多々見られた。微妙なニュアンスの違いではあるが、あくまでも「欲」という主観でなく「食事が喉を下っていない」という客観的な書き方をしている点が非常に印象的であった。当時は泊まり込みで施術をするのが常であったというから、患者さんが食事をしているのを見る機会も多々あったと思われる。それを考えると状況が違う現代の鍼灸院では「食欲ありますか?」と主観に問うのは愚問なのかもしれない。実際に食欲が減っているかどうかを常に気にする現代人はあまり多くないのではないだろうか。患者さんとの会話の中でうまく普段の食事風景を引き出せる問診ができれば、もう少し先人の観察眼に追いつけるのではないだろうかと思うばかりである。

三旗塾『千日会報』より
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