前回のおさらいはこちら
桂枝湯というのは非常に大切な処方らしい。
傷寒論においては桂枝湯を患者さんに合わせて微調整(加減)する条文が非常に多くツラツラ書かれている。鍼灸においても、同じツボで効かせ方を変えるというのは良くあることだと思う。
ところで鍼麻酔が世界に驚きを与えたころ、数多の処方を使いこなす老中医は、漢方を学びに来たアメリカの医師たちに八味丸というただ一つの処方について3ヵ月講義して来訪した医師たちを呆れさせたという逸話がある。処方を患者に合わせて加減するというのは処方一つとってもそれくらいには奥深いということだろう。
桂枝湯証の鑑別
太陽病、下之後、其気上衝者、可与桂枝湯、方用前法。若不上衝者、不得与之。(15)
『傷寒論』より
治療法を間違えた!?
桂枝湯を使うべき症状は太陽病なので、「脈浮、頭頸強痛、悪寒、発熱、発汗」などが桂枝湯を使うターゲットになる。この症状がある中で、下剤(浣腸やお通じを出すようなお薬)を使うと、どうなるかというのがこの章での主題なのだろう。
「なぜ下剤?」と思われた方もいるかもしれない。この傷寒論が書かれた時代は、浣腸することで熱が下がることが知られていたり下剤を多用していたらしいことが、傷寒論の中から読み取れる。おそらく民間療法的に「お通じを出す=解熱」という発想があったのだろう。下痢は現代でも栄養失調を引き起こす理由の代表的な理由であり、傷寒論の著者はこの悪しき習慣を打ち砕きたかったのかもしれない。
どこで見分けるか?
下剤などを使った後、桂枝湯が使えるかどうか。この条文によると「上衝」というのがキーワードになる。上衝というのは、症状ではなくて一種の状態を表す単語で理解が難しい。症状としては、「突き上げるような感覚」があるものと考えられている。具体的には、「胸に何かこみあげる感覚」などがある。
この他にも条文にはないが、脈で見分けるという方法がある。上衝というのは、自覚症状であることが多いし、見分けるのが難しい。この条文で桂枝湯を使うことができるかどうかというのは、言い換えれば、「病気が表に留まっているかどうか」とも言える。つまり太陽病の所見である「脈浮」の有無が一つの判断基準となるだろうと考えられる。
逆も言えるかもしれない。桂枝湯が使えるということは病が表にまだあるということである。たとえ下剤などで下したとしても、気上衝があれば病は表にあると判断できるというわけである。
気上衝についての解釈
気上衝については施術家、漢方家にとって様々な解釈がされて来たのは先に述べた。これに対して、江戸の考証学者・丹波元簡の見解が臨床家として参考になるのでここに記載して終わろう。
「上衝、いまだに諸家はっきりした見解がない。しかしこれは太陽経気の上衝であり頭頸強痛などの症状をあらわすだろう。必ずしも気衝という言葉にとらわれる必要はない」
「上衝、諸家未有明解、蓋此太陽経気上衝、為頭頸強痛等証、必非謂気上衝心也。」
『傷寒論傷寒論輯義・太陽病脈証并治』
コメント