日本では温病の認識が少ないように感じる
もちろん温病条弁は湯液・漢方の専門書であるが
鍼灸も東洋医学と同じ理論であるとするならば
鍼灸の臨床にも生きる部分が大きくあるのだろう。
そんな楽天的な予測が叶うことを願って
名医の条文を備忘録として残そうという試みである。
この巻首は温病条弁の著者・呉鞠通が持論に根拠を持たせるために『黄帝内経』の引用をする部分である。この断章主義的手法は、中国で伝統的に行われる。だだ呉氏はここに条文に対する自説を同時に載せている。これは四部経典と言われるものの中ではかなり特殊で、呉氏の医学に対する誠実性を感じるばかりである。
1、《六元正紀大論》曰、「辰戌之歳、初之気、民厲温病」、「卯酉之歳、二之気、厲大至、民善暴死、終之気、其病温」、「寅申之歳、初之気、温病乃起」、「丑未之歳、二之気、温厲大行、遠近咸若」、「子午之歳、五之気、其病温」、「巳亥之歳、終之気、其病温厲」
気運をのぶるは、温病の始をたずぬるなり。毎年の温に、早暮微盛の不等あるは、司天在泉、主気客気、相加臨して然るなり、くわしく《素問》注を考えれば自ずから知る。ここに多贅せず。按ずるに呉又可は「温病は傷寒に非らず、温病は多くして傷寒少なし」と謂い、はなはだ通ず。「其時に非らずして其気あり」と謂うは、未だ顧此失彼のそしり有るを免れず、けだし時和し年みのり、天気以ってやすんじ、民気以って和せば、まさに盛んなるべきの歳といえどもまた微か、凶荒兵火の後に至れば、まさに微なるべきの歳といえどもまた盛ん、理数自然の道は、怪しむに足る者なし。
温病の根拠を示すために呉氏は「運気」を考察する。運気は東洋医学の中でも賛否両論で有る。だが呉又可が「其時に非らずして其気あり」と内的要因を指摘しただけでなく、外的要因にも注目したということに呉鞠通の卓見と言えるだろう。
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