機能性ディスペプシアなどの症状によるものに限らず、疲れによるものや原因不明のものまで、食欲不振は当院でもよく見かける症状の一つです。
一般的に食欲不振は、食欲不振→体力の低下→体重減少と身体が弱っていくので、中医学では虚証と見て施術することが多いようです。しかし中には虚証とは必ずしも言えないような食欲不振が存在しており、一般的な治療で改善しないことが少なくない。今回の症例では、そんな虚証ではない食欲不振の医案を取り上げます。
楊秀倫の食欲不振
淮安の大商 楊秀倫は,七十四歳,外感停食を患った。高齢の財産家なので,医者は補剤ばかりを出した。 しばらくすると楊秀倫は食の匂いをかいただけで吐くようになり,人が食べているのを見るに、これらは腐った臭いがするのに,なぜ食べるのか?と言い、1ヶ月近くほとんど食べず寝ずで、ただ人参湯だけで命をつないでいた。 私(王士雄)が診て、
王士雄《洄渓医案按·外感停食》より抜粋
「此の病は治せるが,我の処方は必ず服さなければならない,服さなければ必ず死ぬ。若し君等の医者の意に従って処方すればやはり死ぬ,それなら何も処方しない方がましだ。」
と言うと皆はどんな薬が良いのか?と聞くので、私は生大黄でなくてはダメだ。 と答えた。衆は果たして大いにおどろき、前の先生が処方を定めてからもう一度相談します。 という。
「其の心配は解らぬでもないが,薬が来ても捨てればいい」
と私はその意をくんで,生大黄を煎じて,病人の所へ行き無理やり服用させた。そばにいた人は皆おそれていたので、その薬を半分だけのませることになった。 その夜、楊秀倫はすぐ気分が楽になり寝ることができ,腹を下すこともなかった。あくる日は一剤を全服し,少し下して身は益々楽になった。
解題
患者は楊秀倫という人で74歳のご老人です。74歳というと今ではハツラツとした若者にも負けないような元気な方もおられますが、当時の平均寿命が30代ということを考えれば、74歳は長老のような存在です。もちろん体力的には衰えているわけですから普通の医師(漢方医)であれば補剤という選択肢をとるでしょう。
補剤というのは人参や黄耆など、いわゆる元気になる薬と呼ばれるものの総称で疲労回復などの効果があるものです。生薬(本草)の世界では補剤は比較的安心して使うことができて長期服用にも適すると民間で考えられてきたこともあり、補剤が重宝されてきた歴史もあります。
今回の症例でも補剤を出されており、弱ったお方へ補剤を出すというのは当時の医者の一般的な行動だったと思われます。しかし患者の「腐った臭いがするのに,なぜ食べるのか?」という発言は、厭食(えんしょく)や悪食(おしょく)と呼ばれ、食滞の重要な所見です。食滞は補剤の適応外でありむしろ悪化させることがあると考えられています。これを見た漢方医の王士雄は、補剤と真逆の瀉剤の代表格である大黄、それも薬効の強い生のものを用いよと言うわけです。これは理にかなっているのですが、瀉剤は使用法を間違えると危険ですので患者の家族は戸惑ったということでしょう。その後、見立てはしっかりと合い、楊秀倫はご老体ながらしっかりと回復していきます。
体質と症状は違う
さて今回の症例では、一般的に言われている体質と現在の症状で補剤と瀉剤どちらを使うべきかというテーマがあるように思います。この症例からもわかるように体質は考慮しても良いが、症状(現在の状態)に対して主に弁証・処方・施術するべきであるというのが治療の原則です。現代の鍼灸臨床でもそれは体質なのか症状なのかしっかりと分けて施術することが、よりよい施術へのステップアップになるのではないでしょうか?
次回はこの続きと食滞について見ていきましょう。